カテゴリー: 地車 / 2018年地車
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2018.10/12 富田林市西部祭礼
作成日時: 2019/2/9 (土) AM 12:19
最終更新: 2019/2/9 (土) AM 12:19
最終更新: 2019/2/9 (土) AM 12:19
秋の祭礼2週間目です。金曜日ですが、夕方から地車が曳行されるので見に行きました。
甲田、錦織、廿山、嬉以外は初めて見る地車です。
甲田町内の横断幕
鳴物、拡声器なしで曳行出発
町内を曳行し、住宅街へと入っていきます
住宅街ででんでんの練習。ここでは鳴物、拡声器ありです。
次に向かいます!
続いては錦織。青年団に即バレしました笑
錦織も最初は鳴物、拡声器なしで曳行です!
明るい時間帯に錦織を見たのは初めてです
夕焼け空の下曳行します!
湯の花KOUTAを歌いながら曳行。錦織秋物語です!
錦織地車は、大正期に塔本寅太郎、芝本馬太郎他2人が製作した石川型地車。彼方より購入or彼方を参考に制作された
平成23年に吉為工務店、山本陽介にて修復され獅噛み3面、大屋根懸魚が新調された
続いては津々山台パレードの入場を見に行きます
公園入口の提灯
まずは廿山。USA歌ってたらしいです笑
明治初期に吉田辰治郎(彫師 彫又一門)にて製作の石川型地車。明治末期~大正初期に河南町神山より購入。
平成28年に文化庁認定事業として、大下工務店により彫刻、台木、枡組以外を原形を崩さずに復元。錺金具や彫刻細部なども新調当時に戻し、本来の姿に復元しました。
甲田
甲田地車は明治16年10月に新堂組大工 小寺新平(彫師 彫又一門)にて製作された石川型地車です。
平成30年に大下工務店の施行で修復が行われ、柱・勾欄回り・肩背棒・台木を復元新調。屋根・組物、彫刻の灰汁洗い、彩色・繕いが行われました。また、獅噛み3面を復元修復され、高さも10cm上がりました。
現地車の休止時(昭和50年代後半~平成初期の約15年は)子供地車曳行し、後に金剛コロニーに寄贈されました。
新家
1996年に池内工務店(彫師 木下彫刻工芸、川原一門、井尻一門)にて製作された折衷型地車。
往古に明治20年代に桐山に売却という言い伝えもある。
先々代は杉山家に預け10/11と12日に曳いていたが、大正末期~昭和初期に若衆が勝手に地車販売業「ぬし辰」に売却し休止となった。
先代は昭和55年に奈良氏製作の子供地車を購入し、現地車購入につき川西小学校に寄贈。
宮甲田
1988年に池内工務店(彫師 中山慶春、十場裕次郎)にて製作の折衷型地車。
往古は1708年新調という記録がある。
先代は東板持付近より購入、石川を担いで渡った。下取りされ永らく保存されたが解体処分された。
五軒家
明治16年に(彫師 相野徳兵衛、山鳥亭盛貞)製作の五枚板大和型地車。
大正2年に村の若者5名が大和高田市新町(現永和町)より購入。
珍しい五枚板の地車です
加太
板勾欄出人形式住吉型。明治6年に堀内市松の製作。
1999年に有志が和泉市葛の葉町より購入。
全町入場しました。次は春日地区へ
伏見堂との顔合わせを終え、錦織との顔合わせに向かう彼方です。
明治23年に新堂村大工組(彫師 小松源助、赤銅芳松、西岡又兵衛)にて製作の石川型地車
1889年に喜志大深が新調し、数年で羽曳野市西浦新町へ売却。大正5年頃に奈良県香芝方面より450円で購入した。
こちらは伏見堂
1853年に富田林寺内町の御坊町が新調し、明治中期購入。石川型地車
汐ノ宮を曳行中の嬉です
伏見堂と顔合わせ
会館下ででんでんの練習をし、会館に戻ります
会館に戻るには急坂を登らないといけません
会館にもどってからも少し暴れました!
堺型地車。昭和24年頃に泉大津市森より購入。上之町のを購入しようと小西寅松に行ったが、1日違いで森が買ったので森地車を購入。
2日目(10/13)に続く…
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1.
富田林西部は岸和田とは正反対に明治期製作の歴史ある地車が多いんやな。てか、青年団に即バレするってことは、まっちゃんもこの界隈ではもう有名人か。
投稿者:かーくん 投稿日時:2019/2/12 (火) PM 8:56 <<返信