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2018.9/15 岸和田市旧市地区パレード
作成日時: 2018/11/21 (水) PM 11:55
最終更新: 2018/11/21 (水) PM 11:55
最終更新: 2018/11/21 (水) PM 11:55
春木地区の後、数年ぶりに岸和田市の旧市地区駅前パレードを見に行ってきました!!
駅前商店街を通ってきただんじりは、駅前を左右にやりまわしします。右行きのみ画像ありです。
1番 下野町 13時00分
2010年に植山工務店(彫師 岸田恭司)制作の4代目地車
先々代は江戸末期~明治初期に制作。1915年に340円で土生に売却したが現存せず
先代は1915年制作(1919年完成)。2009年に泉佐野市の個人へ
また、2010年7月10日に青年会議所のイベントでりんくうタウンへ春日神社の太鼓台と共に参加した。
2番 紙屋町 13時05分
1991年に天野工務店(彫師 松田正幸、正彦親子、木下賢治)にて制作。
先代は1841年に制作。1990年10月21日に昇魂式を行い、だんじり会館にて展示している
3番 並松町 13時10分
1921年(完全完成1922年)に櫻井義國にて、1万2891円44銭5厘で制作
長さ4.275m、大屋根幅2.627m、内幅1.21m、高さ3.59m
1920年に貝塚市沢より地車を借りるが、小門交差点で電柱にぶつけ、大屋根がふっとぶほどの大破損し応急修理をしたものの、多大の賠償金を支払ったことから新調となる。
明治以降に人が多数移り住んだことから、明治35年に魚屋町地車を借りて初めての地車曳行を行う。翌年にこの地車を購入するが、昭和37年に隣家がペストに罹ったので地車小屋ごと焼却処分にする。
4番 堺町 13時15分
1939年に朝代市松(添棟梁 三木田捨三、彫師 一元林峯一門)にて制作の4代目地車
長さ4.165m、大屋根幅2.422m、内幅1.172m、高さ3.785m
三先代は1842年に制作。貝塚市脇浜に売却したが現存せず
先代は明治22年制作。大正11年に熊取町野田へ売却。
5番 藤井町 13時20分
1992年(完全完成1993年)に天野工務店(彫師 松田正幸、木下賢治)長さ4.25m、大屋根幅2.55m、内幅1.23m、高さ3.19m
先代は1946年に春木北地車を21万5000円で購入し、翌年より曳行復活。1990年に和泉市幸町へ売却
6番 筋海町 13時25分
1933年に久納久吉・幸三郎兄弟(彫師 西本五葉、一元正、開正珉、玉井行陽、川島暁星 等)にて制作
長さ3.985m、大屋根幅2.4m、内幅1.109m、高さ3.743m
四先代は大新作の地車
三先代は明治13年に制作し、大正9年頃に熊取町小垣内に売却。2009年まで曳行しかれ、熊取交流センター 煉瓦館にて展示
先々代は大若が大正10年に制作するが1度も曳行することなく、熊取町五門に売却。
先代は大正11年制作。数年後に紀州街道の南町の電柱に激突し、正面葺地を割り、怪我人を出したので大正末期~昭和初期に熊取町七山に売却。
7番 中北町 13時30分
2006年に井上工務店(彫師 木下彫刻工芸)にて制作
三先代は明治30年代に制作、熊取町大宮に売却するが現存せず。
先々代は大正5年頃制作。昭和32年に約22万円で箕土路町に売却し、現在は和泉市黒鳥坊小路。
先代は1957年に制作、南上町へ売却
8番 本町 13時35分
1932年(完全完成1933)に絹井楠次郎・田端辰次郎(彫師 吉岡義峰、森曲江)にて制作先々代は1855年に制作の四ッ屋根地車。明治37年に和泉市納花に75円で売却したが、南池田の地車騒動のため廃絶。
先代は1915年に制作し、昭和2年に忠岡町生之町に売却。
9番 別所町 13時40分
大正9年に7525円50銭で制作。1999年に別所町の有志が購入し、2002年5/19に購入入魂式。40年ぶりの復活となった。先々代は昭和7年~昭和10年までの曳行記録がある。
先代は土生町より購入し昭和36年~昭和38年に曳行し売却
10番 沼町 13時45分
2002年に大下工務店(彫師 木下彫刻工芸)にて制作長さ4.24m、大屋根幅2.515m、内幅1.24m、高さ3.86m
先々代は1855年に熊取町大久保から購入し、明治32年まで曳行。その後老朽化のため焼却処分。
先代は明治34年に2000円で制作。平成13年11/3に昇魂式し、だんじり会館で展示。
11番 五軒屋町 13時50分
(連続テレビ小説の撮影に使用され、撮影の際は京都の太秦映画村で撮影されました)
1998年に植山工務店(彫師 岸田恭司)にて制作
長さ4.3m、大屋根幅2.48m、内幅1.212m、高さ3.84m
往古地車1804年~1829年頃に制作、だんじり会館で展示。
先々代は明治20~30年代に制作、現在は堺市長承寺
先代は大正12年に制作、堺市太井に売却。
12番 中之濱町 13時55分
1951年に天野藤一、天野喜三郎(彫師 木下舜次郎、金光南陽)長さ9尺3寸5分、大屋根幅2.306、内幅1.145m、高さ3.342m
1952年に完全完成入魂式。本来は完成の1951年に入魂式をするが、制作大工が「初めての地車制作なので、試験曳きをして不都合あれば手を入れ、完璧なかたちで地車にしてから入魂したい」ということで翌年となる。1950年は台枠にコマと屋根だけの地車を曳いた。
往古は1856年に制作。銀2000貫で貝塚市三ッ松に売却。明治30年頃の旱魃のため解体して売却。
先々代は八田町に売却
先代は明治33年に制作。1945年7月10日未明の堺大空襲で、疎開道路建設のために海岸付近の納屋に移されていた中之浜町の地車も焼失した。泉南唯一の戦災地車になる。
昭和22年と、昭和23年は中町の地車を合同曳行
13番 宮本町 14時00分
2008年に吉為工務店(彫師 木下彫刻工芸)にて制作の5代目地車
長さ4.25m、大屋根幅2.5m、高さ3.85m
初代は江戸末期制作。牡丹に唐獅子の一枚彫地車だった。
二代目は明治13年に制作。大正6年まで曳かれ、和泉市小田
三代目は大正7年に制作するが、大正9年に熊取町大久保に売却。
四代目(先代)は大正10年は彫刻無しで紅白の幕を引いて曳行。制作費は約7000円。2007年に昇魂式を行い堺市檜尾へ売却。
14番 南上町 14時05分
2006年に岸和田市中北町より購入。2007年より岸和田祭りの名実ともに参加。
1957年に天野藤一(彫師 木下舜次郎)にて155万円で制作
長さ3.94m、幅1.51m、大屋根高3.27m、小屋根高2.3m
初代は1993年に植山工務店より寄贈の子供地車。現在は三の丸稲荷社奉納地車。
二代目は1997年に高石市匠(8区)から800万円で購入。堺市中山に売却され、その後和歌山県橋本市紀見へ。
三代目(先代)は1999年に岸和田市市尾生町より購入。現地車購入につき堺市原田へ売却
15番 南町 14時10分
1995年に植山良雄(彫師 岸田恭司)にて制作
長さ4.3m、大屋根幅2.53m、高さ3.87m
先々代は明治30年頃に制作。大正8年に2035円で貝塚市三ッ松に売却。現在は六虎倶楽部へ。
先代は大正7年制作。1995年に高石市高磯(2区)へ売却
16番 大工町 14時15分
2012年に池内工務店(彫師 木彫山本)にて制作
三先代は1862年に制作。明治23年に泉佐野市長滝中ノ番へ売却。
先々代は明治32年制作。大正8年9/15宮入で、中北町の方が、子供に綿菓子を買ってやろうとしたところ、地車が疾走し転倒。母子が地車の下敷きになり絶命したため貝塚市名越に売却。
先代は1923年制作。2011年に堺市大庭寺へ売却
17番 大手町 14時20分
1940年に植山宗一郎(彫師 木下舜次郎)に6600円で制作
先々代は明治20~30年代に制作。大正10年に泉佐野市上瓦屋へ売却し、現在は和泉市尾井町へ。
先代は大正11か12年に制作。泉佐野市湊に売却後、現在は貝塚市馬場へ
18番 中町 14時25分
1922年に大弥三(彫師 開親子)にて制作
長さ4.03m、大屋根幅2.46m、内幅1.045m、高さ3.69m
宝暦~天保には2台の地車があった。
先代は1840年に制作し大正11年に貝塚市清児に売却し、現在は和歌山県橋本市東家町へ。
19番 上町 14時30分
1929年植山宗一郎・義正兄弟(彫師 開正藤・正珉親子)にて制作
大正時代に小寺と池の尻が合併。小寺地車は
明治13年に制作、熊取町五門に売却し堺市菱木白木へ。池の尻地車は明治34か35年に制作
20番 春木南 14時35分
1999年に植山工務店(彫師 近藤晃)にて制作
大屋根幅2.615m、内幅1.24m、高さ3.95m、長さ4.38m
先々代は唐獅子のある小型地車だった
先代は植山工務店に下取りされ別所町へ売却
春木地区だったが、春木北の地車が売却され1台となったので、岸和田地区に参入し昼のパレードも岸和田地区に参加。2006年を最後に春木地区を脱退し、岸和田へ完全参入。
21番 大北町 14時40分
2012年に隆匠(彫師 岸田恭司)にて制作三先代は安政3年に制作。
先々代は明治20年頃に制作。大正8年頃に熊取町小谷に売却。
先代は大正9年に制作。2011年に修復し堺市片蔵に売却。
22番 北町 14時45分
(サボテンとか筋肉すごいやつがいます…笑)
2008年に植山工務店(彫師 松田武幸)にて制作の6代目地車
1785年に泉大津より地車購入。翌年に泉佐野市中之庄に売却
1786年に地車新調。この地車は3~4年間曳行
その後は地車が2代(江戸時代に3台新調)
先々代は明治12年に制作。貝塚市沢に売却後、現在は奈良県大和高田市大和地車保存会へ
先代は1917年に制作。岸和田市葛城町へ売却
パレード後商店街
堺町
銀行出たら堺町
待ってたら筋海町
大北町
そしてまたまた堺町笑
駅前パレード前の五軒屋町
駅前パレード
駅前パレード後の商店街
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2.
僕もあんま知らんねんけど、岸和田祭りの始まりは泉大津から地車を買って始めたらしい北町だけ飛び抜けてネタをしてるように見えるけど、実際は他町も綱先とかがTシャツを来てたりするねんな。そこも駅前パレードのみどころでもある。
投稿者:まっちゃん(管理者) 投稿日時:2018/11/22 (木) PM 3:36 <<返信
1.
岸和田の地車は迫力と規模もさることながら、今に至る歴史も文字通り波乱万丈やな・・・事故や戦災を乗り越えて歴史を継承する姿は感動もんやわ。
それにしても、北町だけなんであんなネタを・・・
NHKのサボさんに、進撃の巨人の超大型巨人、ドラゴンボールのピッコロに、スターウォーズのヨーダって、統一感の「と」の字もない謎の組み合わせ・・・
けど、このユーモアは個人的に好き(笑)
投稿者:かーくん 投稿日時:2018/11/22 (木) PM 12:31 <<返信