カテゴリー: 地車 / 2017年地車
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だんじりin大阪城 7(全町紹介6 11月5日)
作成日時: 2018/1/20 (土) PM 9:50
最終更新: 2018/1/20 (土) PM 9:50
最終更新: 2018/1/20 (土) PM 9:50
西淀川区 野里東之町
2015年より参加しています5日のみの参加です
太陽の広場横道路にて
幕がすごいですね。
10:55撮影(広場出口付近、午前巡行出発)
[野里東之町紹介]
魅せる屋形と絢爛豪華な装飾を融合させ、往古より伝わる日本の木工加工技術を現代に復活させたといえる地車。
[地車詳細]
平成22(2010)年5月30日新調入魂。大阪型地車
大工は河合工務店、彫師は御堂製作所
先代は文化11(1814)年製作の住吉型。明治時代に北河内より購入。昭和30年代に背を低くし三枚板形式に改造平成3(1991)年修復し、平成21(2009)年9月5日昇魂し大阪市北区中津へ
大東市 灰塚
2016年より参加しています5日のみの参加です
太陽の広場横道路にて
かつては後ろ梃子を差してましたが、灰塚に来てからは差してません
10:57撮影(広場出口付近、午前巡行出発)
[灰塚紹介]
平成17年に大改修した当地区のだんじりは、その後数回にわたり改修を行い、現在に至る。彫刻は「大閣記」の物語を施している
[地車詳細]
明治時代製作の住吉型地車
平成17(2005)年9月19日購入入魂。河内長野市西代より。北本工務店で改修後搬入
大工は住吉大佐、彫師は彫又一門
先々代は東大阪市北蛇草より購入。戦後に東大阪市横枕に1000円で売却。東大阪市小阪に譲渡されるが、老朽化のため曳かれなくなり消息不明
先代は太鼓正製作の町内地車。河内長野市の汗成塾育成会へ売却
西淀川区 野里中神車
前回は2014年に参加しました5日のみの参加です
太陽の広場横道路にて
子供達が龍踊りを披露してました
10:59撮影(広場出口付近、午前巡行出発)
[野里中神車紹介]
昭和30年に新調された中神車。平成24年に町民の願いであった復元修理を見事成功させた。豪華な彫刻が、人々を魅力する。
[地車詳細]
昭和30(1955)年製作の大阪型地車
大工は植山義正、彫師は木下受次郎・金光要
昭和43年の曳行を最後に休止。
昭和52年に再開したが昭和53年1/11の放火により屋根周りや見送りが黒焦げに。
平成元年に曳行再開
平成24年に大下工務店・辰美工芸にて修復。洗い・締め直し・焼損失部材の交換や欠け継ぎを施工
長さ5m、幅2.6m、高さ3.6m
先代は解体処分
堺市津久野連合 宮山
2016年より参加しています5日のみの参加です
太陽の広場横道路にて
11:00撮影(広場出口付近、午前巡行出発)
曳いていた友人の話によると、曳き手は100人いたみたいですが、それ以上にいると思います
[宮山紹介]
約百年ぶりに新調。氏神である堺の据尾八幡神社は、源義経に由来。彫師は主屋根に「源義経鞍を奉納す」等、主に源平合戦で構成
[地車詳細]
平成5(1993)年製作の折衷型地車
平成6(1994)年完全完成入魂
大工は天野工務店、彫師は松並義孝
平成25(2013)年4月7日修復入魂。北本工務店にて肩背棒周りを修理
平成29(2017)年7月2日修復入魂。北本工務店にて灰汁洗い・彫刻繕い・メッキ直し・妻台入替え等を施工
全長4.14m、大屋根幅2.32m、内幅1.18m、高さ3.8m
先代は江戸末期製作の堺型地車。尼崎市築地南浜の大宮町に売却
今津
2015年より参加しています5日のみの参加です
太陽の広場横道路にて
大阪市では珍しく後梃子がありますね
11:02撮影(広場出口付近、午前巡行出発)
[今津紹介]
今津のだんじりは、昭和21年に堺市深井東町より購入。彫又、西岡弥三郎、複数名の名師による彫刻が混在しており、奥行きのある迫真の作である。
[地車詳細]
明治24年11月堺市深井東町新調の大阪型地車
大工は石川辰治郎、脇棟梁は樫木栄三郎、彫師は彫又一門
昭和21年に深井東町より購入
平成20年6月1日修復入魂。吉為工務店にて洗い、金物取替え、彫物の部分補修、担い棒の取替えなど施工
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2.
>>1 多分元々は堺型やな。けど今は前梃子もあるし、担い棒と台木が縄で固定されてるから大阪型に分類かな投稿者:まっちゃん(管理者) 投稿日時:2018/1/22 (月) AM 11:59 <<返信
3.
堺型から大阪型に改修したから後ろ梃子が付いてるんか。(鉄道車両なら「魔改造」ってやつやな。)
て、ことは、平成になってから新調された地車でお馴染みの「折衷型」とは全く出自が異なるわけやな。
投稿者:かーくん 投稿日時:2018/1/22 (月) PM 7:53 <<返信
1.
今回は明治の地車と平成の地車が登場か。造られた時代は違えど、今も昔もどっしりとした大阪らしい彫物の存在感は変わらんな。
・・・てか、後ろ梃子付きの大阪型って、それはほんまに大阪型と呼んでいいんやろうか・・・
投稿者:かーくん 投稿日時:2018/1/21 (日) PM 3:32 <<返信